TOPへ戻る

■ 池田健一エッセー ■


vol.001 vol.002 vol.003
vol.004 vol.005 vol.006
vol.007 vol.008 vol.009
vol.010 vol.011 vol.012
vol.013 vol.014 vol.015
vol.016 vol.017 vol.018
vol.019 vol.020 vol.021
vol.022 vol.023 vol.024
vol.025 vol.026 vol.027
vol.028 vol.029 vol.030
vol.031 vol.032 vol.033
vol.034 vol.035 vol.036

■ 作者プロフィール ■

  
      池田健一
   (いけだけんいち)

昭和25年長崎生まれ。大学卒業後、いすゞ系会社の特装車両を手掛け、その後整備士、板金などの職歴を経て、現在長崎でキャンピングカー製作を手掛ける。ウッドを多用したナチュラルな内装を特徴としたフィールドシリーズが評判となる。趣味はスキンダイビング、トランペット、リズム&ブルースなど。文明批評と豊かな詩情を織りまぜた独特のエッセイを自作のホームページに掲載して、アクセスユーザーからの注目を集めている。

新企画開始!

町田編集長のblogを開始しました。
   【町田の独り言へ】

名車発見

スタンダードとなった名車を紹介するコーナーが始まります。長い間、売れ続けるキャンピングカーの魅力を探ります。
    【名車発見へ】

メールマガジン発行中

更新情報その他の情報を適時お送りするメールマガジン「CARVO」発行中。購読無料!!お申し込みは
   【申し込みページ】

ショップ&ビルダー
リスト

ショップを調べたくなったらこのリスト。所在地・電話番号・ホームページの情報を掲載しています。
    【リストページ】

Outdoorエッセー「答えは風の中」 池田健一(カスタムプロ ホワイト)

● vol.030 海の底のコミュニケーション


汽水域(きすいいき)という言葉をご存知ですか。川と海、陸と海が交差する場所です。簡単にいうと、川が海に淡水を注ぎ入れている河口部のことです。そこでは、比重の重い海水と比重の軽い淡水が交差するため、独特の生態系が展開しています。私がよく行く汽水域では、淡水の領域で泳ぎ回るフナの生活圏の下で、海水を拠り所とする黒ダイが群れています。 私は、この汽水域を潜るのが大好きなのです。 素潜り(スキンダイビング)を始めてから30年。海へはもう1,000回以上通い続けています。それは汽水域の面白さに取り付かれているから…と言ってもいいかもしれません。
汽水域では、カニや黒ダイ、ボラといった海の生き物と同時に、ウナギやフナといった川の生物が観察できます。しかし、それだけではありません。 心ない?人間様たちが落としていく空カン、古タイヤなどの廃棄物もみんな集まってきます。もちろん、それは自然環境の保護を考えると、実にゆゆしき事態なのですが、しかし、自然界の生き物はたくましい! 空カンの中では、小さな貝が「俺様の住処だ」とばかりに威張って暮らしていますし、古タイヤの中では、ウナギさんが気持ちよさそうに眠っています。 それはどこか昔の長屋暮らしを想像させるところがあります。 セレブでもリッチでもない人たちが、時には助け合いながら、時にはド突き合いながら、それでも和気あいあいと仲良く暮らしていた日本の長屋。 そういう生活環境は、もう古典落語の世界にしか残っていないのかもしれませんが、私は今も心のどこかで、そういう世界を求めているところがあります。 汽水域の乱雑に散らばったゴミの中で暮らしている生き物たちを見ると、私はなんだか彼らが長屋生活をしているように思えるのです。

私はいまだに、洗練されたホテルのレストランなどで、高級な食事をとったりするのが苦手です。 私の好きな食事スタイルは、焚き火の煙にむせながらも、ハンゴウでご飯を炊いて、それをシンプルなおかずと一緒に噛みしめながら、じっくりと味わうというヤツ。 純白のテーブルクロスの上に銀色のフォークやナイフが5個も6個も置かれ、さらにうず高く巻かれたナフキンやフィンガーボールなどが並んでいるのを見ると、どの道具をどのタイミングで使ったらいいのやら…。まったく眩暈が訪れそうに感じます。セレブの人たちが当たり前なこととして直面する状況が、私にはいたたまれないくらい辛いのです。 長屋に暮らす庶民のライフスタイルに憧れるというのも、ひとつはそういう私の性癖から来るものかもしれません。
だから私は、いわゆる有名なダイビングスポット、例えばハワイやセブ、沖縄、五島列島などへは行ったことがありません。行きたいとも思いません。 そういう場所に行けば、確かに水の透明度も高く、泳いでいる魚たちもきれいに見えるのは分かっているのですが、そういう海は、どこか「洗練されたレストランの高級な食事」に思えてしまうのです。おそらくそういう海に潜っていると、私は場違いな場所に来たと焦ってしまい、居心地の悪さを感じてすぐ陸に上がってしまうことでしょう。 リゾート地の有名なダイビングスポットよりも、私にはどこの町にも存在するありふれた川の汽水域の方が、やはり似合っているように思えます。
唐突な展開になりますが、真のコミュニケーションとは、違った世界に属するモノ同士がぶつかり合うことから生まれるといった人がいます。同じ言葉をしゃべり、同じ気持ちを共有する者同士が意見を一致させても、それを本当のコミュニケーションとはいわないのだとか。 真のコミュニケーションは、異なる文化圏に育ち、異なる言語をしゃべる者たちが議論の末に理解し合ったとき、初めて生まれるというわけです。 外国人同士が理解しあうという意味ではありません。 同じ日本人でも、若者と老人では話す言葉も世界観も違うでしょうし、組織のなかで生きてきた人間と、一匹狼として生きてきた人間も、なかなか共通の意思を持つことができません。 しかし、そのような両者が出会ってトコトン意見を闘わせ、その議論の果てにお互いの立場を理解し合ったとき、めでたしめでたし、コミュニケーションが成立したということになるわけです。
そんなことを解らせてくれたのも、実は汽水域なのです。 淡水と海水という異質の水がぶつかり合う場所。人間が排出したゴミと自然の生き物が出合う場所。 汽水域では、陸の上では起こり得ないもの同士の衝突が生じ、私たちの常識では図り得ない世界が生まれています。そこでは人間が垂れ流した文明の残滓に対し、自然界の生き物が、水の底で切ないコミュニケーションを図っています。 私もまた、そこで彼らとコミュニケーションを持つようになりました。空カンの中で暮らす貝や古タイヤで眠るウナギを眺めていると、彼らが「劣悪な環境でも生物はたくましく生きていける」ということを教えてくれるように思えるのです。人の波に揉まれただけで生きるのが辛いなどと愚痴る人間なんて弱い、弱い。汽水域のフナや黒ダイは、そう思いながら笑っているかもしれません。 汽水域自体は決して清潔な場所とはいえませんが、一度そこを探索する面白さに取り付かれてしまうと、脱出するのはそう簡単ではありません。