編集長町田厚成の今日もバンクで独り寝
● vol.008 ああ、旅情!
「うらぶれた…」という言葉を使うと、はなはだその土地の人に対して失礼だが、無責任な旅行者の立場に立つと、うらぶれた町の、うらぶれた飲み屋などに入るのがとても好きだ。 旅情という言葉があるが、ほとんどそれに近い感情がこみ上げてくる。ローカル線の無人駅の前に、店といえるようなものは居酒屋と喫茶店と観光案内所があるだけ。あとは古びた民家が建ち並ぶばかり。まだ夕暮れ時に差し掛かったばかりという時間帯なのに、 人通りはない。喫茶店と観光案内所は早々と店を閉めてしまったのか、それとももう何年も営業していないのか、静まり返っている。 かろうじて、居酒屋の提灯だけが、ぼんやりとした明かりをともしている。ま、つげ義春のマンガで出てきそうな古い温泉町か宿場町の雰囲気。 そういえば、分かる人にはピンとくるだろう。
そんな情景に出合うと、涙が出そうな感じで、ふらふらと居酒屋に足が向く。日本中至るところに、コンビニとファミリーレストランが建ち並ぶようになり、 それはそれで便利だけど、どこの町に行っても同じ風景と、同じ味にしか出合わないようになってきたので、旅から旅情が失われつつある。そういった意味で、 今旅情は、コンビニとファミレスという近代的な発展から無視されたような「うらぶれた…」町にしか残っていない。そんなふうに思っている。
昔「キャンプ場ガイド」の取材で日本全国を旅している時だった。駐車場とキャンプ場の旅をしばらく続けて、久しぶりに町の匂いを嗅ぎたくなったのである。
地図を広げると、名前になじみのある都市名が20kmぐらい先にあった。よし、行くべぇ。久しぶりに銭湯でも行って汗を流すか…。
名前になじみがあるから大都市。バカな旅行者が単純に陥るミスである。
たどり着いた情景が、前述の描写に近い町だった。熱い銭湯の湯船に浸かってのんびりするという夢はあえなく潰えた。が、逆に旅情に出会えた。
さいわい駅前の駐車場だけはやたらと広い。広いだけに、 停まっている乗用車の数が少ないと、逆に寂しい。うん、これもまた旅情だな…。と勝手に悦に入って、愛車を止め、飲み屋を探す。 「探す」などと力を入れなくても、店舗といえるものが4軒あるうちの2軒が飲み屋であることは一目で分かった。
どちらにしようか…。はたと迷った。1軒はお好み焼き屋。これは看板からすぐにその正体が分かった。謎なのはもう1軒の方。「××ちゃんの店」。 与えられたインフォメーションはそれだけで、提灯があるところを見ると飲み屋であろうことは推測できるのだが、メイン料理がどんなものなのか見当もつかない。 しかも、扉と窓に真っ黒なラシャ紙が貼られていて、意図的に中を覗かせないような作意も感じられる。怪しい! こういうときは、たいてい怪しい方に入ってしまう自分が恨めしい。ガラガラと引き戸を開ける。裸電球ひとつという雰囲気の、なんだか暗い店だ。いきなり目に飛び込んできたのは、 カウンターの前に広がっているガラスケースだった。並んでいるのはタコの切れ端、マグロの赤身、卵焼き。寿司ネタである。寿司屋だったのだ。
が、次に驚いたのはガラスケースの向こうにいる職人だった。髪をやや茶系に染めて、ネックレスをしているお婆さん。 まぶたの上のマスカラがやたら元気で、10円玉を2個ぐらい載せても落ちそうもない感じだ。
「いらっしゃい…」。お婆さんの物憂い声にうながされ、まるで魔法にかけられたようにスルスルとカウンターに腰を下ろしてしまった。
「何しましょう?」
「と…とりあえず、ビール」
ビールでまず時間稼ぎをして、何が食べられそうか、いろいろ観察することにした。昭和40年代ぐらいに製造されたという感じの古い冷蔵庫を開け、 お婆さんが何かの瓶のフタを開け、くんくん匂いを嗅いでいる。
「まだ、食べられそうね…」。そう、独り言をいいながら、それを小皿に取り出す。どうやらビールに付くお通しのようだ。ニシンのマリネだという。 ひとくち口に運ぶと、なんだか酸っぱい。ま、マリネだから酸っぱいのは当たり前か…。
「何します?」
そう言われ、もう一度ガラスケースの中を覗き込む。マグロは赤身というより、黒身に見え、タコは水気を失ったよう。比較的イカらしい色に見えたイカを頼む。 マニキュアを美しく輝かせた細い指が、ひょいとイカの切り身を取り出し、おにぎりのようなシャリの上に乗せる。その様子を眺めながら、「ここ、お寿司屋さんですよね?」と、恐る恐る聞いてみた。
「いや、カレーライスやオムライス、タイ焼きもできるよ」と、お婆さんはこともなげに答える。
カレーライスとオムライスはまだなんとか分かる。しかし最後のタイ焼きとは何だ? あんこの入った焼き菓子のことだろうか。カルチャーショックで頭がくらくらしそうだ。
野球のボールのようなご飯の上にイカを載せたおにぎりを口に運ぶ。これが意外とおいしい。
「おいしいだろ。これはウチの実家で採れたお米を使っているんだ」
婆さんは、自慢げに言って初めて笑顔を見せた。聞けば、もともとは居酒屋だったとか。しかし息子さんが寿司屋の奉公から帰ってきて、 そのために寿司ネタも扱うようになり、現在はそれが地元の人にうけているという。普段は(今その姿を見せていない)息子さんが握るらしい。少し納得。
おにぎりのような寿司は、四つも食べればもうお腹いっぱい。
「あんたカラオケ歌っていくかい?」という、親切な提案をえん曲に断りながら、退散することにした。
大都市ならば通勤帰りの人々でごった返す時間帯なれど、この時間の止まったような町には、あいかわらず人通りはなし。振り返れば、 「××ちゃんの店」の提灯だけが、絵本の中に出てくる幻の店のように、ぼんやりした光をまき散らせている。地元の人たちはいつお寿司を食べに来るのだろうか。
それにしても、今夜はなかなかの「旅情」を味わった…という感激を胸にしながら、今日もまたバンクで独り寝

