編集長町田厚成の今日もバンクで独り寝
● vol.010 混浴温泉の夜はふけて
日本の温泉ブームはますます盛んなようだ。そもそもブームというのは、長く続かないことを前提とした表現なのだが、温泉に関してはこれが当てはまらない。仮に一過性のものを「ブーム」、定着したものを「カルチャー」と分けるとすれば、温泉はすっかり日本人のカルチャーとして浸透したといえる。その理由はいくつもあげられるが、そのひとつに、混浴があるからだという説がある。
わが家のカミさんは、「混浴」と聞いただけで、ゲェっと顔をしかめるが、私は、男も女もおおらかな自然児に戻って同じ湯に浸かる混浴という文化に、さほど抵抗はない。多くの人に尋ねてみたが、男性にはあまり抵抗がないようだ。それどころか、積極的に関心を示す男性が圧倒的に多い。
リンエイプロダクトの田辺二郎社長はデリボーイを改造したキャンピングカーに乗って全国の温泉めぐりをしている人だが、彼もまた混浴賛美派の一人とみた。自慢のデリボーイキャンパーを見せてもらったことがあったが、車内に設定された立派な書棚には、無数の「混浴温泉ガイド」で並べられていた。数にして5〜6冊。その手の本がそれだけ発行されているということは、それなりにファンも多いのだろう。
混浴温泉は、昔からある湯治場の雰囲気を保っている場合が多い。男女別の風呂を整えた近代的な温泉施設とは異なり、ひなびた風情があったり、野趣に富んでいたりする。いわば通好みの温泉である。田辺社長は、さすが“旅の達人”であると実感した。
しかし、男女がお互いに肌を見せ合うという性格上、混浴温泉は、時として人間社会の縮図を見せることがある。場合によっては、文化のあり方を考えさせてくれるきっかけともなる。民族によって、肌を露出することが羞恥心につながる文化と、そうでない文化もあると聞く。ヘソ出しルックや超ミニスカートで街を闊歩することに何も恥じらいを持たない若い女性が、なぜ混浴施設では、恥ずかしそうに身体にバスタオルを巻くのか。考えると深い謎だ。青森県にあるS温泉は、古くからある湯治場として知られている。成分濃度の高い強い酸性湯で、万病に効くと評判の温泉だ。ここはまた昔ながらの混浴浴場があるということで、男性を中心に人気を集めている。
もちろん大勢の男性客がいる前で、昼間から裸身をさらして入浴する若い女性がいるわけなどない…はずだが、ときどき勇気ある女性がバスタオルに身体を包んで湯に浸かることがある。その頻度は、せいぜい1時間か2時間に1組。田舎の路線バスのようなものだ。しかし、その滅多にない貴重な体験を期待してか、とにかく長風呂の男客が多い。
といっても、ずっと湯に浸かっているわけにもいかないので、みな風呂場のフチに腰かけて身体を冷ましている。
その風情が、もの悲しくて面白い。
ある人は目をつぶり、別の人は物思いに耽るような表情をつくり、みな通勤ラッシュに疲れたサラリーマンのような顔をして時間をつぶしている。普通、温泉に入ればみな楽しそうな笑顔を浮かべたりするのだが、ここでは必死にこみ上げてくる期待を押し殺している感じなのだ。
で、実際に若い女性がバスタオルを巻いて登場したとしよう。
すると、一瞬のうちに場内の空気が変わる。
男たちが、いっせいに無遠慮な視線を女性に投げかけるからではない。
むしろ逆である。それまでずっと女性用脱衣所の入口を食い入るように見つめていた男たちが、まるで示し合わせたように、キョロキョロと天井や外の景色をを眺め始めるからだ。
なかには、それを機に「俺はお前らと違うぞ」という無言のメッセージを顔に浮かべながら脱衣所に帰ろうとする人もいる。男としての美学は買うが、なんのために今までネバっていたのだろう、と気の毒になる。
そういう美学を発揮できない大多数の(私のような)男たちは、天井から湯船に視線を戻すとき、
「あれ? いつの間に女性が…」
という涙ぐましいほどトボケた感じで、一瞬だけ目的の方向をかいま見る。
群馬県の有名なT温泉には、女性専用風呂もあるが、それ以外の湯船は総て混浴という施設がある。実は、そこに入るまでそれを知らなかった。だから、これから思春期を迎えようとしている息子と、おおらかな気持ちで湯に浸かっていた。
ところが、突然息子が落ちつかない表情になった。そして、ヘラヘラと意味のない笑いを浮かべ、急に脈絡のない話題をたくさん繰り出してきた。何だか変だな…と思って振り向いてみると、いつの間にやら妖艶な美女が恋人とおぼしき男性とゆったりと混浴を楽しんでいる。こういう時の間をどんなふうに取ればよいのか、なかなか妙案が浮かばない。健全なはずのホームドラマを子供と一緒に見ていたら、突如濃厚なベッドシーンが出てきてしまったという状況に近い。「お父さんだけじっくり見たいから、お前はもう寝なさい」…なんて、なかなか言えるものじゃない。
平常心を装って、とにかく当たり障りのないテーマで会話を続けなければ…と悩んだ末に出た話題がこれ。
「お前、零戦のプラモデルどうした? 零戦は水冷エンジンのムスタングなどと違って空冷エンジンだから、エンジン部分がボッコリ盛り上がって…」
なんで突然零戦の話になるのか自分でもよく分からないのだが、息子も要領を得ないまま、「スピットファイアやメッサーシュミットも空冷なんだよね」などと一生懸命話を合わせてくる。お前も苦労しているな…と心のなかで思う。
岡山のY温泉には、ダム下の川原に無料の露天風呂が設営されている。混浴なのだが、誰もが自由に歩ける街中なので、そこに浸かる女性などなかなか現れない。
私は、川原のそばの駐車場にクルマを止め、例によって「バンクで独り寝」をむさぼっていた。
夜もふけた11時頃、急に露天風呂の近辺が騒がしくなった。バンクの窓のカーテンを開けて、そっと覗いてみると、中年の男女4〜5人がお風呂の前で笑いさざめいている。近くの旅館から散歩に出てきたのか全員がユカタがけだ。相当酔っているらしく、みな声が高い。
やがて、オバサンの一人が突然ユカタを脱ぎ捨て、露天風呂に向かってダイビングを決め込んだ。すると、みるみる全員がスッポンポンになって、次々とお風呂に飛び込んでいく。子犬がじゃれ合うような無邪気な笑い声が周囲にこだまする。
良いなぁ…と私は思った。みな子供に戻ったような開放感に浸っているに違いない。
人前で裸になることは羞恥心を伴うことだ。しかし、その羞恥の壁が取り除かれたときに、仲間としての連帯感も生まれる。日本の混浴文化は、そうやって日本人の共同体のつながりを強固なものにしてきたのだろう。日本人が民族としてのアイデンティティを再び取り戻すためには、さらに混浴文化を普及させなければならない。…などと考えながら、私はひたすらオバサンたちのヌードを見つめたのだった。

