編集長町田厚成の今日もバンクで独り寝
● vol.012 三橋美智也の歌に包まれて眠る
私のキャンピングカーは、夜はダイネットがジャズバーに変わる。メインライトを消して、キッチン用換気扇のスモールライトを間接照明のように使い、テーブルの上に氷とウィスキー、味付けイカの「よっちゃん」を並べる。
ラジカセの音量を小さく絞り、まずはバップ時代のマイルス・ディビス。次はコルトレーンとジョニー・ハートマン。クリフォード・ブラウンとヘレン・メリルもいいな。
…などという気取った夜を楽しむことが多かったのだが、最近異変が起こっている。
三橋美智也の『達者でナ』、曽根史郎の『若いお巡さん』、若原一郎の『おーい中村君』、渡辺はま子の『サンフランシスコのチャイナタウン』、笠置シズ子の『買い物ブギ』。
そんな昔の流行歌にハマってしまったのだ。いずれも1950年代(昭和30年代)から60年代初頭にかけての歌謡曲だ。
なにが面白いのか? と、キャンピングカーのダイネットでウィスキーを舐めながら考えた。
ひとつには、こちらの想像力がついていけないほど不思議な情景を歌っているということが挙げられる。
「ワラにまみれてよぉ育てた栗毛…」で始まる『達者でナ』には、馬の手綱を引きながら町に向かっていく馬と、その馬を育てたオヤジが登場する。一緒に暮らした馬が「今日は買われて町に行く」というのだ。
昭和30年代の農村部ではよく見られた光景なのかもしれないが、東京で育った自分には、馬とその飼い主が向かっている「町」というものが今ひとつ想像できない。
馬が生活できる町とはどんな町なのだろう?
飼い主は庭のガレージにでも馬を入れ、食事の時は、馬が丸い窓から首だけ出して、家族と一緒にニンジンサラダでも食べるのだろうか。
散歩するときはリードで犬を引っ張るように、手綱を引いて公園を歩くのだろうか。地下鉄や高層ビルがある町しか知らない自分にとっては、想像力がモリモリと刺激されてくる。
『おーい中村君』は、結婚してつき合いの悪くなった同僚(中村君)を、飲み屋に誘う男の話。
「いかに新婚ホヤホヤだとて、伝書バトでもあるまいものを」と、歌詞の中で中村君が皮肉られるのだが、この伝書バトというたとえが、今の時代には伝わりにくい。メールや携帯電話が普及した時代に生きていると、伝書バトという比喩が成立する世界が異次元の世界に思えてくる。
この時代の曲は、サウンドも不思議だ。
石原裕次郎の歌う『嵐を呼ぶ男』は歌謡曲なのに、間奏部分ではアート・ブレイキーが手がけるようなモダンジャズが唐突に披露される。この独創的なアレンジに、当時の人は戸惑わなかったのだろうか。
笠置シズ子の『買物ブギ』などは完全にラップ。ヒップホップ系のリズム(当時のブギ)に、嘉門達夫を思わせる大阪弁のジョークが乗せられている。昭和25年のヒット曲だといわれても、ほんまかいな…と思えてしまう。とにかく面白い!
どんな歌にも、今の時代にはない不思議な生活感覚があふれている。レトロだけどノスタルジックではない。サウンドや歌詞に古めかしさが漂っていても、今の時代には失われてしまった「ふてぶてしい明るさ」がある。全体的にポジティウブ・シンキングの世界なのだ。
昭和30年代というのは戦後10年が経過したとはいえ、「あの悲惨な戦争から解放された」という安堵感が、まだ残照のように漂っていた時代だったのだろう。だからこそ未来もむじゃきに信じられたのかもしれない。
このような気持ちを維持したまま日本人が生き続けていたら、いったいどのような社会になっていただろうか。これらの歌に接すると、今経験している世界とはまったく違う日本が、今でもどこかで同時進行しているという奇妙な気分に襲われるのは私だけだろうか。
三橋美智也の歌う『夕焼けとんび』が、酔った頭のなかをグルグル飛び始めている。
…そろそろ、今日もバンクで独り寝。


