業界サムライ列伝
● vol.011 ヨコハマモーターセールス 永野文義さん(57歳)
はじめにロデオありき
国産キャンピングカーの歴史は、1982年にヨコハマモーターセールスが開発したロデオRVから始まったといっていい。当時いすゞ自動車が製造していた4輪駆動トラックのロデオをベースにFRP一体成形のシェルを架装し、キャンピングカーの本場であるアメリカでも見られないようなスマートなフォルムを実現したロデオRVは、当時の日本人にとっては異次元のキャンピングカーだった。私などは、このクルマに憧れてキャンピングカーの世界に近づいてきたようなところがあり、いまだにボンネット型のキャンピングカーに対する憧れが強いのは、このロデオの鮮烈な印象が深く脳裏に刻み込まれているからである。その生産累計は1,599台。国産キャンピングカーがハンドメイドに近いワンオフで造られていたこの時代に、ワンブランドでこれだけのセールスを記録するということは奇跡に近い。このロデオRVを開発した永野文義さんを国産キャンピングカーの創設者として認めることに対して、この業界に携わる人々で異論を唱える人はまずいないだろう。彼は、いかにしてこの金字塔のようなキャンピングカーを実現することができたのか。今回はその秘密に迫ってみようと思う。ゴザの上で食べた握り飯
ヨコハマモーターセールスは、1979年に輸入車ディーラーとして設立された会社だった。それもキャンピングカーではなく、50年代オールドカーの輸入販売を行う会社としてスタートしたのである。その前身は「永野自動車工業所」という自動車整備工場だったが、当時30代前半だった永野さんは、日本の自動車修理業界が斜陽産業になるのではないかという懸念を抱き、日本に新しい自動車文化をつくりたいという希望に燃えて、新事業に手を染める決断を下した。
「ジャパンアズ・ナンバーワン」という言葉が生まれ、日本企業の優秀さが世界に喧伝され始めたのがちょうどこの頃。トヨタがソアラを発表し、自動車電話が登場するなど、自動車の世界でも新しい動きが胎動していた。
永野さんはその時代の空気を胸いっぱいに吸い込み、日本でもブームを巻き起こしたスーパーカーのような刺激的な自動車を求めて勇躍渡米する。
しかし、現地で彼の心を捉えたのはスーパーカーではなく、キャンピングカーだった。
そこでは、定年退職をして自由な時間を手に入れた夫婦がキャンピングカーを使って優雅な余生を楽しみ、子供を持つ家族がキャンピングカーを使って家族の絆を確かめ合っていた。
「家族が楽しめる自動車!」
一匹狼の男が自分を磨くようなスーパーカーを求めていた永野さんにとって、それは新しい発見だった。
そのとき彼の脳裏をよぎったものは、幼い頃、母親と一緒に近所の川原までピクニックに出かけ、ゴザを拡げて兄弟と一緒におにぎりを食べている情景だった。それはまだ生活が豊かでなかった永野家において、彼が感じる唯一の贅沢な時間といえるものだった。
見慣れた川原で食べる塩が唯一の味付けであるような握り飯。擦り切れたゴザ。しかし、そこで親子が創り出した空間は、この上なく家族の温かみに満たされた夢のような空間だった。彼はキャンピングカーという乗り物に、その空間と同じ温かさと豊かさを感じとったのである。日本のキャンピングカーは日本人の手で
永野さんは、アメリカでさっそくキャンピングカーを仕入れて、日本で販売することにした。最初のクルマは19ftのタイオーガ・アローというモーターホーム。 これがすぐに売れた。当時、多くの日本人はキャンピングカーというクルマにさほどの関心を示さなかったが、映画やテレビで活躍する俳優陣がこの手のクルマに興味を抱き、芸能人を中心としたブームが沸き起こりつつあった。 米国製キャンピングカーは、その層を中心に売れ出し、やがて中小企業の経営者たちに広まっていった。しかし、量が出始めるとともに問題も起こるようになった。当時の米国モーターホームのクオリティは、まだ日本人が日本車に求めるような緻密さを持ち合わせていなかったのである。 やがてクレームが続出。その処理で多忙を極めるようになり、永野さんは方向転換を迫られる。
「自分たちで造るしかない」
永野さんはそう心に決める。それも、米国モーターホームより信頼できるクオリティで、しかも普通のサラリーマンでも買える390万円ほどの国産キャンピングカー。安価で充実した仕様の国産キャンピングカーが揃っている今日では想像できないだろうが、当時これは無謀とも思える企てだった。 しかし、彼はこういう。
「私がゴザの上で握り飯を食べたときのあの豊かな空間を、一人でも多くの日本人と共有したかった。キャンピングカーにはその力がある。だから薄利多売の精神で日本にキャンピングカーを根づかせたかったのだ」
ヨコハマモーターセールスのクルマ造りのポリシーには、次のような言葉が記されている。
「親子の断絶、家庭内暴力、登校拒否。キャンピングカーはこれらの現代病を排除する家族のコミュニケーショングッズである」
“グッズ”という軽い言葉を選んだ背景には、永野親子が川原で過ごすときに敷いたゴザのイメージが込められているという。キャンピングカーは贅沢品ではない。たかがゴザの延長線上にあるようなグッズだ。しかし、そのグッズは家族愛をつくり出す魔法のグッズだ。彼はそう言いたいのである。
安全設計の追求に関わるコストは「コスト」ではない
ロデオRVは、なぜボンネット型4WDトラックをベースにして造られたのか。その理由は、単純に「ベース車が安かったから」というものだった。当時は、高級品と目される商品には物品税が課せられていた。ベース車に2輪駆動車を選ぶとその物品税が22.5%。それを消費者が負担しなければならない。しかし、産業車両と見なされていた4輪駆動車は、その物品税が17.5%ですんだ。“グッズ”としての普及を狙ったロデオRVは、購買者が少しでも安く買えるようにと、そんな角度からも検討されたクルマだった。それと同時に、安全性の追求も念入りに行われた。自動車の安定性を確保する大きなファクターに低重心設計があるが、当時4輪駆動トラックとしては、いすゞロデオが一番低いフレーム高を実現していた。低重心設計、前後の重量バランスの適正化といった走安性を優先する車両造りは現在も同社では一貫して追及されており、そのために配管類の取り回しを変更したり、燃料タンクやスペアタイヤ位置を移動させるなどは、同社の設計スタッフにおいて当たり前の仕事になっている。 「家族愛を生み出すためのキャンピングカーで、家族が悲しむ事故が起きるようなことは絶対あってはならない」 永野さんは、新型キャンピングカーの開発の前には必ずスタッフにそう言い聞かせる。キャブコンのリヤ2段ベッドが大ブームになったとき、同社でもこれをモデル化したいという声が営業サイドから巻き起こった。 しかし、もし走行中にそこで寝ていた家族が追突に合ったらどうなるか。「走行中のベッド使用は不可」というコーションステッカーを貼れば製造者の責任を免れるという声も出たが、責任の問題ではなく、あくまでも不幸な事故を未然に防ぐという観点から、彼はそのレイアウトの採用に踏み切らなかった。
ロデオRVのFRP一体成形ボディという工法にも逸話が残っている。 ロデオがお手本にしたアメリカのマイクロミニは、実はパネルを組み合わせた角張ったフォルムを特徴とし、ロデオRVのような洗練されたシェルを持っていなかった。永野さんはボディ剛性、防水性、耐腐食性などを確保するために、ぜひとも一体成形ボディを実現したかった。 しかし、それを受けてくれるFRP業者がいない。架装メーカーが造る自動車では、そのようなものに取り組んだ前例がなかったからだ。
「じゃ俺たちでやろう」
またしても、永野さんは自分たちでFRPの型起こしから始める。 最初はいびつなものしかできなかった。しかし、そのうち精度が上がってくる。 ある程度完成形に近くなったとき、ようやくFRP業者がその型を使用して製作を引き受けてくれるようになった。 「何から何まで新しいことにチャレンジしなければならない毎日でした」 永野さんは遠くを見るような目で、当時のことを思い出しながらそう語る。
ロデオRVは、永野さんの期待を裏切ることなく売れ始めた。 タバコも酒も我慢したお父さんが、爪に火をともすような思いで貯めた100万円を頭金におずおずと店を訪ねてくるなど、彼を泣かせるような事例がたくさん登場するようになった。 ふと気づいたら、ロデオの受注残が200台を超えていた。 わずか75坪の工場で、従業員6人で製作していたのではとても受注をこなせない。 敷地面積6,441u。工場、倉庫、食堂を備えた福島県の石川工場が立ち上がったのは、1990年のことだ。 ロデオの生産がようやくこれで受注に追いつく。ピーク時には月産80台。平成6年には年間生産台数で780台を記録したこともある。
潜水艦だって造りますよ
この石川工場では、キャンピングカーとともに様々な特装車両が造られている。警察用指揮車、災害支援車、拡幅ボディを持った消防支援車や放送中継車、パラボラアンテナトレーラー、歯科往診車、美術品搬送車。注文者のそれぞれのニーズに特化したありとあらゆる特装車がここで開発・生産されている。 現在までに開発された特装車の種類はおよそ130種。最近ではフジテレビのマラソン中継車で、かつてどの架装業者も成し遂げなかった新機構を開発して採り入れ、テレビ番組の制作業界を驚かせた。
「人工衛星をつくれといわれたら躊躇するけれど、海洋調査用の潜水艦をつくれといわたら、ハイと即答します」 永野さんは、特装車開発に携わる自社スタッフに万全の信頼を置いている。ここにはコンピューター制御の専門家から、タッチパネルの専門家まで、どんな特注にも応えられるプロたちが揃っている。たとえば風速8mを超えたら自動的に収納できるサイドテントを取り付けるなどというのは、朝飯前のことだとか。
それぞれ異なる企業の専門的に特化した仕様を実現することで成り立つのが特装車の世界。注文者の業種が変わるごとに新しい工夫が必要となる。 そこで実績を上げたのだから、同社にはさぞやキャンピングカーに応用できる新技術、新機構が数多く蓄積されたことだろう。
しかし、ここ7年ほど、ヨコハマモーターセールスから新型キャンピングカーはリリースされていない。 同社に新しいキャンピングカーを開発する意志はあるのだろうか。 それを尋ねると、永野社長は意味ありげにニヤっと笑っただけだった。 「まぁ、新型キャンピングカーをつくってみたいなぁ…という希望だけは持っていると書いておいてください」 この答えは、新型車の開発を示唆するものだとはいえないだろうか。 この10年の間に、同社が特装車製作で手に入れたノウハウのなかには、他のビルダーが追従できないようなものがあるはずだ。それを盛り込んだキャンピングカーが生まれるなら、きっと日本のキャンピングカー史を塗り替えるような、画期的なクルマになるに違いない。ロデオRVがそうであったように。(町田)

